6月の加東混声合唱団定期で当団が演奏する曲目は
(オケ単独)
交響詩「フィンランディア」(シベリウス)
バレエ音楽「コッペリア」より「序奏とマズルカ」(ドリーヴ)
(オケ・合唱団合同演奏)
「レクイエム」抜粋(モーツァルト)
歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲(ヴェルディ)
ということで今回は「アイーダ」を取り上げたいと思います
いつものように詳しい解説はリンク先を参照下さい (^^;)
(作曲者ヴェルディについてはこちらを参照)
今回演奏する凱旋行進曲はオペラの第2幕第2場ということで
中間部のクライマックスということになります
物語自体はこの時に凱旋したエジプト軍の司令官ラダメスが
この後の第3幕でアイーダ(敵方エチオピアの王女が身分を偽ってエジプト王女に仕えている)に
軍事機密を話してしまい、エジプト軍は勝利するものの
ラダメスは生き埋めの刑に処され、アイーダもその時に
一緒に行き埋められるという悲劇で終わります
この曲は1871年12月に初演されました
後述のスエズ運河開通を記念してカイロに建設された
オペラ劇場の杮落としに作曲を依頼されたとの説があるのですが、
実際のところは当該劇場の杮落しはヴェルディの「リゴレット」でして
その後でエジプトを舞台とした作品制作を依頼されたということです
この時代日本では1868年に明治維新(明治改元)
欧州では1870年に普仏戦争
(プロイセン=現在のドイツとフランスの間に起きた戦争)が起きています
エジプトでは1869年にスエズ運河が開通して
それまで欧州〜アジアの航路はアフリカ大陸南端を回るか
船から荷降ろしをして陸路で運搬していたので
物流が大きく変わる事になりました。
しかしながらスエズ運河建設の財政負担はエジプトを
疲弊させてイギリスの進出を許すことになり、ついには
1882年にイギリスの支配下に置かれることになりました
(その後1922年までイギリスの支配が続きます)
ともあれ、そういう時代背景もありまして
アイーダの初演もパリで製作されていた舞台装置や
舞台衣装が前述の普仏戦争による人手不足で遅延し、
さらにはフランスから運び出せなくなるトラブルもあり
当初の予定より11ヶ月も初演が遅れることになりました
実際のオペラではこの凱旋行進曲の時に
アイーダ・トランペットと呼ばれるファンファーレ用の
トランペットが6本使われ、他にも多数の金管楽器群による
軍楽隊を舞台上・舞台外に配置するのですが(所謂「バンダ」)
当団の演奏会ではそもそもLOCホールがそれほど大きくないので (^^;)
舞台上のオケの金管楽器奏者がバンダのパートも演奏します
・・・そのせいか結構疲れます (−−;)
いつもながら訳のわからない解説となりました (^^;)
2015年04月25日
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